おはようございます。
大型連休だと家族が集まりますね。
働かない私に対して兄が威圧的な言葉をあびせるのにもそろそろ飽きてきました。
私の生き方は「みんなと同じじゃないから不平等だ」と仰るのです。
現在こんな文字を並べているのはクソニートまっただなかの私でありますが、一方の兄は私より2歳上で、働いてもう3年です。
彼からすれば自身は何年も働いているのに、私は全然働かずにずっとパソコンをさわっている無能な弟です。
そらまあ不満も溜まるわな。
何かと発言のたびに「銭稼いでから文句言え」とか「でも無職じゃん」とか、そういう旨の罵倒をしてきます。
お前に何かしたか?ん? 親のすねを少しだけかじっていますが、仇でもなければ兄に直接危害を加えた覚えも全くありません。
労働の義務を果たさないのは非行だとも考えられますが、6月からは一応働きます。
兄は中学高校とそこそこ勉強してO大学の法学部に試験を受けずに入学しました。最低限の授業をとり女の子をたぶらかしてはあれやこれや(姉の友人からの情報)して4年生の後半は週0コマで遊びほうけて無事卒業。その後は市役所に勤め日々文句を垂らしながら働いています。
ひと昔前の田舎の"普通の文系"って感じ。地方公務員くらいしか就けるところありませんもの、法曹になる勉学に励まなかった法学部出身で頭でっかちなものですから、日ごろから他人を見下した発言が多いのです(対私以外でも)。仕事のうっぷんが蓄積しているのでしょう、応対した人や仕事場の悪口をよく耳にします。「身なりは綺麗でも口が臭う」「教えていた後輩がダークサイド(笑)に堕ちた。もう俺のモチベについてこられる奴はいない」いやいやいや、役場の人間なら根本はお前も一緒だお。自覚ないだけだお。
とまあ、印象を悪くする紹介はここまで。
実際に私にこうも悪態をつくのは何故なのでしょうか?
ただのストレス発散?うらやましいから?特別扱いされているのが気に入らないから?
答えは「自分と同じじゃないから」です。
大学に進学して卒業してすぐに働きに出る。彼の中でこれが"平等"の基準であり"普通"なのです。そしてずっと役所に引きこもって専門性の欠片もないオッサンが出来上がる。
イイ考え方ですね。すごく安泰な一生です。悪くない給料が毎年少しずつ上がっていって、でもクビになる心配もほとんどない。ここだけ聞けば優良物件です。実際は金遣い荒いし性格は良くない。
でも弟はどうですか。文系なのに5年も学校に通って就職活動も怠り今やニート。必死(笑)で頑張ってきた自分とは裏腹にダラダラ過ごしているではありませんか。これは許せませんね。"平等"ではない。両親はどうしてコイツを甘やかすんだ。
お前にも機会はあったぞ????
大学を出てすぐ公務員になる決断をしたのは兄自身。
一旦先延ばしにしてダラダラすると決めたのは私。
就活をすると決めた兄、就活をしないと決めた私。
選ぶ瞬間は等しく与えられた。
その気になれば兄だって大学を卒業してしばらく放浪できたでしょう。私を受け入れてくれた親なら兄も受け入れたでしょう。
今になって自分の選ばなかった道に対してどうこう言うのはお門違いもいいところです。やはり市役所の人間はちょっとおかしいですねw
単純に考え方が狭い。狭いせいで自分の可能性をつぶしてしまっただけなのに気楽に生きている私を引きずり降ろそうとしている。典型的な日本人です。
「皆が不幸ならそれもまた"平等"」
しかし理解できません。
就職して3年しか経っていないのにもう不平不満しか言わない、そんな職場であと40年近く働き続けなければならない苦行を、どうしてわざわざ自分で選ぶ必要があるでしょうか。好きでもない誰でもできる役所仕事に飛び込み、40年待たなければ旅行も難しい状況を自ら作り出すのは行き急ぎも過言ではありません。
学生時代に目的もなくずっとアルバイトをするのも理解に苦しみました。どうせ人生働く時間のほうが長いのに何故今必要以上に働くのだろうと。
定年退職してから65歳の1年と20代の1年とを比べるとできることが違います。
65歳からはお金も時間もあります。概ねお金で少し楽をして色んなことをします。
20代無職はお金がなくて時間があります。お金を使わず楽しむ方法を考案する余地が生まれます。
その余地とは例えば、うーん
ボールペン字の練習をしてみる、図書館へ行く、同級生と会ってみる、お金で解決できることを自分で解決してみる、映画を見る
ぱっと出るのはこれくらいかな。
既存の人生設計の典型にとらわれているようだと彼もきっとつまらない人間になってしまうのでしょう。
日本社会の弊害ですね。古い、時代遅れでも規則は守るもの変えてはいけないもの。
ま、兄の言うことには耳を傾けず好きに生きていますよ。
(見下しているわけではありませんが、兄はかわいそうです。教育によって視野を奪われたのですから)
正直に述べると、兄から見たら私は負け組、私から見たら兄は勝って見える負け組です。
死なずにゆるゆる生きられたら満足です。
では、またお会いしましょう。