こんにちは。
皆さんは自分流の作文術ってありますか?
ここまで数か月の間ブログを書いてきました。その最中でやはり言い回しや表現を考えながら進めます。とはいっても飽ない、読みやすい文を作るのは簡単ではありません。
私個人が留意している点について、いくつか説明します。
「こと」「という」「思う」三銃士は特に注意。
こと
以下の例文はいかがでしょう。
気になることは、 彼は昨晩出かけることができたのにしなかったことです。それだけだとどうってことないと思います。
この2文だけで「こと」が3回も出てきます。そりゃあ、ダメではありませんが...。
なにかのコピペで「ことことうるせえなシチューかよw」とのツッコミがありまして、これを見て以降は気を付けるようにしています。
改善策とすれば置き換えが有効。
- 「の」を使う
- 具体的な名詞へと書き換え
が一番簡単です。
乱用を防ぐためには適度に「こと」を使いつつ、挙げた変換を織り交ぜる必要があります。
これにのっとって書き換えると、
気になるのは、彼が昨晩出かけられたのに、しなかったことです。それだけだと問題はないと思います。
すっきりして見えますね(※個人の感想です)。気を付けていきましょう。
「こと」に付随して一つ。
「〇〇することができる」表現は控えて、「〇〇できる」「〇〇が可能」と書くと文字数も抑えられて美しくなります。
「言うことができる」→「言える」
「家へ帰ることができる」→「帰宅できる」
などです。
「こと」は名詞をぼかすときに使うことが多いようです。このことを頭に入れることで書き分けるべきことがわかるということです!
思う
言うまでもありません。
現実世界で喋っている間はかまいませんが、書き言葉は推敲できますから思ってばかりではよろしくない。
例を挙げましょうか。
A「消費税増税について、あなたの考えを聞かせてください」
B「必要だと思います。というのも社会保障の強化を軸に置く以上は財源の確保が大切だと思うからです。」以下略
Bさんが「思っ」ていますね。一つ目は問題ありませんね。「考えます」なんかでも強く見えて印象が変わります。二つ目が少し違和感を覚えます。「というのも…」以下は根拠を述べるわけですので「思う」だけでは弱い。押していかねばならないので削除する方向が吉です。
改善するためには
- 言い切りを交ぜる
- 考える・信じる・感じるに換える
はきはきとした一節を作ると
A「消費税増税について、あなたの考えを聞かせてください」
B「必要だと感じています。なぜならば社会保障の強化を軸に置く以上は財源の確保が必須だからです。」以下略
意見を出す場面ではこのほうが説得力があるように聞こえますね。
しかしあくまで意見であり、論理的に考えてない・漠然とした場合は「思う」でその場を埋めておくと先に進みやすくなります。
重たいものに対しては重たいと思うだけでなく重たいと思っていると口に出すのが大切だと思います!
という
どういうことだと思いましたね? ”こういうこと”です。
よくあるのが、「〇〇ということ」「〇〇という××」です。
見てもらうのが早いかと思います。
自分には文章力がないからブログなんて書けない、というのは大きな勘違い|徳力基彦(tokuriki)|noteより
内容についてケチをつけるわけではありません。あくまで参考です。ネットで検索して出てくるものですから引用しても許されるでしょう。
画面の中で7度も登場しています。さすがにこれほど書かれるとくどいですね...。この人もシチューですね。
下から2,3個めなんかは、「ステップ1はこと」「ステップ2はこと」が骨になっていて、文としては美しくありません。
そもそも「とか」のように使っていいのでしょうか。goo国語辞典(出展:大辞泉)を見てみます。
[連語]
1 人が…と呼ぶ。…と呼ばれる。「のっぽさんと言うあだ名」「大国主命 (おおくにぬしのみこと) と言う神」
2 「と」の受ける事柄を取り立てて強調する意を表す。「人と言うのはわからないものだ」
3 数量を表す語に付いて、…に達する、…にも及ぶ、などの意を表す。「八千メートルと言う高所」「何万人と言う観光客」
4 時を表す同じ語を前後に置いて、それを強調する意を表す。「今日と言う今日は逃さない」
5 事物を表す同じ語を前後に置いて、そのものはすべて、の意を表す。「店と言う店は閉まっている」
2の用法が話題にしているものですかね。
ではnoteでは強調されまくっているのでしょうか?違います。
どちらかといえば、「」カギカッコそのものや「など」と同じような扱いで現れています。
これがそのまま解決策へとつながります。
- 「という」を取り除く
- 「など」にする
- 「」へ変換する
意外と選択肢があります。先ほどのnoteを軽く書き換えてみましょう。
赤が消す部分、黄色が「という」要素です。ある程度は残しつつ置換しました。全消ししても岩ぷよは降らせませんし。
「という」という言葉を使い続けるという行為は、結局内容がわかりづらいという結果を生み出しやすいということで、避けるのが良いというふうに思います!
繰り返しを避ける
一つの話題で記事を作成するので、同じ言葉を使いまわす必要がでてきます。が、繰り返していると語彙力がなく教養に欠く文章っぽく見えるのです。外国語からの視点で強く感じました。
同じ構造でも表現を変えて内容を伝えてきます。
例えば
何という失態…万死に値する!
英語へ直訳すると
What a blunder he made... deserves death!
ですね。
様々な単語で手を加えると
How awful failure... worthy of capital crime!
I couldn't believe his mistake. He's gotta die.
英語力がアレなのは許してください。専攻していたわけでもないので。
しかし、ほとんど別の単語ばかりでここまで同じ内容を表せます。
それぞれの例文でどのような印象になるかはネイティブや造詣の深い方にお任せするとして、知識の浅い私でも3つ目が他と比べて単純に聞こえるくらいはわかります。
日本語版はというと…
なんてことをしてくれたんだ…消えてしまえ!
こんな間違いを犯すなら死んだほうがマシだ!
怒り口調をどうしてこんなに変換しまくっているんですか僕は。
もともと日本語には存在しないだろう概念ですので、皆がみんな言い換えまくらなくても問題はありませんね。自分が書き飽きないための工夫でもあります。
こそあど言葉
指示語というやつですね。前にある単語や意味的かたまりを「それ」や「こうした」と書くので、文章がすっきりして見えます。
ですが、この子たちも使いすぎては混乱を招き果てには「コレがそれするアレ」状態を引き起こします。
想像以上にこそあど言葉は削っても意味が通じますので、恐れずに省いてみましょう。
「明日にはここを発とう。奴らだってすぐにこの隠れ家を探し出すだろう」
彼はそう告げながら外の音に耳を傾けていてた。その目は緊迫で乾ききっているようだった。
パッと読むくらいなら気に障りません。しかしよく見てみると「ここ」「この」「そう」「その」と4つも入っています。一つずつ考えてみましょう。
「ここを発とう」
聞き手であるもう一人に語り掛けていると思われます。発つのは二人です。ですので「ここ」と言わなくても、去るのは「ここ」からだとわかります。
「この隠れ家」
例文が短く推測が難しいですけれど、あえて書くなら「ここ」に置き換えるとすっきりします。具体的なものを示すために省略が難しいです。言い回しに翻訳調のかほりがします。
「そう告げながら」
直前の内容をさす「それ」ですね。指示語のない「告げる」は座りが悪く感じますが、単純化するんには消しましょう。発言が遠いならつけるのが吉です。
「その目」
削ってしまうと私の目なのか彼の目なのかわかりません。誰の目なのかとしてやれば伝わりやすいでしょう。
これら4点を全部考慮した書き直しは以下です。
「明日には発とう。奴らもここを探し当てるだろう」
外の音に耳を傾けながら告げる彼の目は緊張で乾ききっているようだった。
趣味の範囲になってきますね。こそあど言葉も適度に織り交ぜましょう。指示語無しだと逆にわからなくなりますから。
最後に
気を付けていてもクセは出てしまいます。自分ではなく機械的に分析してみましょう。
解析結果はこちら。
めっちゃわかってますね。わかる。
PC好きなんですね私。そして「思っ」てますね。自分で書いておきながら偉そうに「思わないように!」とは何様ですか。ったくもう...。
たまには第三者の視点で見直すのも面白くてためになります。
今日の解析を活かしてもっともっと読みやすい記事を書くゾ~。
では、またお会いしましょう。